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「芥川龍之介とキリスト教 −切支丹物を中心に−」



1はじめに
芥川龍之介とキリスト教は切っても切れない関係にある。彼は自殺するときも枕頭に聖書を置いていた。芥川龍之介には切支丹物と呼ばれる一連の作品がある。これらの作品群から芥川がどのようにキリスト教を考えていたのかを探ってみたい。


2聖書
個々の検討に入る前に芥川がどのような聖書を持っていたのかを確認しておこう。駒場にある日本近代文学館の芥川龍之介文庫にオックスフォード大学出版部刊の『THE NEW TESTAMENT』がある。

その扉見返しに「一高在学中/井川君より贈らる」とあり、これが確認されている最初の聖書ある。「赤インクによるアンダーラインがかなり見出せる。」(注2)そうである。

また、同文学館には『旧約聖書 HOLY BIBLE』があり、自裁の際の枕頭の聖書として有名である。「ピンクの色鉛筆でマタイによる福音書の十七箇所に傍線が」引かれているそうである。(注3)この聖書は『西方の人』執筆時に用いられた物であることが分かっている。(注4)

また、芥川のキリスト教理解に多大な影響を与えた室賀文武に依頼して手に入れた改訳『新約聖書』もある。(注5)当時の青年は一般教養として聖書を読んでいたが、芥川も又聖書を読み、触発され、戯曲などを書いている。


3切支丹物
どの小説が切支丹物であるかは研究者により異なるが、大概次のようである。(注1)

芥川の切支丹物
作品名発表時期
『煙草と悪魔』大正五年十月
『尾形了斉覚え書き』十二月
『さまよへる猶太人』大正六年五月
『るしへる』大正七年八月
『奉教人の死』九月
『邪宗門』十一月
『きりしとほろ上人伝』大正八年四月
『じゅりあの・吉助』八月
『黒衣聖母』大正九年四月
『南京の基督』六月
『神神の微笑』大正十年十二月
『報恩記』大正十一年三月
『おぎん』八月
『おしの』大正十二年三月
『糸女覚え書』十二月
『西方の人』『続西方の人』昭和二年七月

これらの作品について見て行く。


4衒学的な態度
芥川は聖書を最初は「クリスト教の為に殉じたクリスト教徒たちに或る興味を感じていた。殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のように病的な興味を与えた」(西方の人1.この人を見よ)ところから始まる。

最初の切支丹物である『煙草と悪魔』 は、三好行雄に「才能の浪費にすぎぬ失敗作」と言われたのを始め、キリスト教の本質に触れていない、等今でも高い評価を受けていない(注6) しかし、私はこの小説は芥川の聖書理解をよく表していると思う。

「南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云う事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云う事は、至極、当然な事だからである」(『煙草と悪魔』)

という認識は、『るしへる』の「悪魔亦性善なり断じて一切諸悪の根本にあらず。」などのようにしばしば現れる。 聖・善・神は相対概念であり、俗・悪があるからこそ成り立つと言う考え方である。

また、『さまよえる猶太人』には「イエス・キリストに非礼を行ったために永久に地上をさまよはなければならない運命を背負わ」された男を登場させ、この男は「御主を辱めた罪を知っている」ためにイエスの呪いがかかった、と言わせている。

「罪を罪と知るもの」だけが苦悩を背負うと言う解釈を提示するなど、キリスト教に対して自己の知識からの不信を申し立てている。そこには、自らの人生に重ね合わせて聖書を読む姿はなく、単なる知的読み物として読みその矛盾をつく作者の態度がよく表れていると思う。

kozigi.gif 1.8kbSorry,but Under Construction



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